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【16.07.31】空襲死亡者 新たに74名追加

岡崎空襲から71年 岡崎市が了承

悲惨な戦争を繰り返さない誓いの市制100周年に
昭和20年7月20日未明、終戦のわずか26日前、岡崎市の上空をB29の大群が襲いました。焼夷弾を中心に1万2千506発が、明大寺町、大西町や中心部に投下され、連尺町や康生町などの中心部が焼き尽くされました。
人々は炎の中を逃げ惑い、親も子も兄弟も散り散りになり、地獄絵図のようだったと言われています。
 岡崎空襲を記録する会は、1975年(昭和50年)に発足し、被災者の体験談をもとに、なくなった方たちを一人一人名前で残すための活動をされてきました。
 その結果、岡崎市が「新編岡崎市史」に記載した207名に74名の追加が確認され、長年にわたり、「空襲死亡者数を正確に記すことは歴史を正しく認めること」として市に書き換えを要求してきました。日本共産党市議団も議会でとりあげてきました。
 今年6月27日、「追加 確認74名」を市が了承し、市制100周年記念の市長のあいさつにも「空襲により280人ほどの方が亡くなられ・・・」と追加された数字を述べられました。

平和のシンボル籠田公園とヒマラヤ杉を守れ!!

  あれから71年。空襲や火災の惨禍から街を守るために植えられたヒマラヤ杉(中央緑道)と戦災復興記念の籠田公園の鳩の平和モニュメントに異変が起きようとしています。乙川リバーフロント計画の中に組み込まれ、ヒマラヤ杉は一部残し伐採、籠田公園には、家康四天王像が仮設置され、籠田公園のコンセプトとの調和が問題となっています。岡崎市制100年。もっとも悲しみの大きかった戦争という時代を振り返り、二度と戦争が起きないようにするために地方自治体はどうあるべきか、「過去の100年を未来の100年に繋げる」意味の一端がここにあるように思われます。

市民慰霊祭 多くの参加者で平和の誓新たに

今年も7月19日午前9時から、シビコお買い物広場では「市民慰霊祭」が行われ50名を超える人たちが空襲慰霊碑に手を合わせました。
 日本共産党からは代表して 新免はるか氏が挨拶をし、若い世代に戦争体験を受け継ぐ決意を述べました。
 

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