活動紹介 − 活動レポート

【16.08.21】岡崎市議選予定候補の素顔を見る〜その◆

新免はるかさんの生い立ち

  学芸員になりたい・文化財学科で学びたいと言う目標があったものの、その前段階の高校選びに悩みました。そんな時「普通科に行くならどこに行っても同じ。自分がどれだけ頑張るかだ」と言う言葉を掛けられ、やってみたかったバドミントン部のある高校の中から、原爆の火を灯し続け平和教育を行っている桜丘高校を選びました。
高校時代は、民青同盟に加盟し高校生平和ゼミナールに参加したり様々な活動を始め、バドミントン部と両立させ忙しい日々を送ります。
無事京都橘女子大学に合格し、高校を卒業と同時に京都へ向かうと、京都は府知事選の真っ只中。早速選挙活動を手伝う事になります。結果は残念でしたが、それが『もっと党を大きくしなくては』と言う思いになり入党を決意しました。
(つづく)

鈴木まさ子さんの生い立ち

  高校時代、先生に言われた「10時間の勉強」をやりきることが優秀な生徒、人よりもいい成績で、人よりもいい大学に・・・こういう受験戦争が、私をはじめとした多くの高校生の心や体を歪めていることに気づかされたのは、大学に入って、サークルでの人との関わりあいの中でした。この時代がなかったら、私は本当に「他人の価値観を認められないイヤな人間」のまま大人になっていたのではないかと思います。サークル関係を通じて、多くの先輩党員にも出会い、入党しました。
 名古屋大学時代は、勉強よりも混声合唱団で歌ばかり歌っていました。その中で、黒人霊歌を通じて、奴隷制度のことを学び、組曲「沖縄」を歌うなかで、伊江島で起きた「銃剣とブルトーザーによる米軍用地の接収と沖縄の戦い」などにも出会いました。
(つづく)

きまた昭子さんの生い立ち

  高校は広島市内の比治山女学校に通い、弁論部員として市内の弁論大会に参加するなど
積極的な高校時代を過ごしました。
 高校二年生の夏休み幼馴染のせっちゃんが白血病であっけなく亡くなりました。このとき初めて私たち姉弟に、父親は自分が「被爆者」であることを告げました。この時から私は戦争や貧困に対して怒りを持ち行動する高校生になり、被爆者の生活を支援する「折り鶴の会」などに参加していきました。
 社会福祉を学びたく、知恩院華頂短期大学社会福祉学科に入学しましたが、実習で参加した障害児施設では、三重苦の子どもが柱に繋がれて垂れ流しのような状態でご飯を食べていました。福祉の谷間をみた思いがしました。この子どもたちを救いたいというのが私の今を支えています。初めて同和問題にも直面し,住井すゑ著「橋のない川」にある国家権力が作り出した差別に怒りを覚えました。学生時代は、うたごえ運動にも参加し、「ガチョウ」の団長として楽しい思い出もたくさん作りました。
(つづく)

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