活動紹介 − 活動レポート

【16.09.11】岡崎市議選予定候補の素顔を見る〜その〜

新免はるかさんの生い立ち

葬祭ディレクターの仕事はやりがいもあり好きな仕事だったので、戻る事を決意し、最初に就職した葬儀会社に再就職しました。配属されたのは岡崎店。ここ
で縁があり6月末までの6年半岡崎で葬祭ディレクターとして働いてき3年前に岡崎市に転居してきました。月平均で5〜6件、人生の最期のお見送りをお手伝いさせて頂きました。
市議会議員の立候補要請を受け、葬祭ディレクターを続けていきたいという思いと葛藤しました。しかし、今感じている世の中のおかしさを少しでも変えられたら、同世代の若者が政治に関心を持つ一つのきっかけになれたらと思い仕事を辞め立候補する決意をしました。
共産党としては先日の参議院選挙で議席を倍加させたり、得票を伸ばしたりしていますが、「共産党を大きくしなくては」と言う私の思いは入党の時から変わりません。秋の岡崎市議選では必ず3議席を獲得する為に頑張ります!(おわり)

鈴木まさ子さんの生い立ち

高校時代、先生に言われた「10時間の勉強」をやりきることが優秀な生徒、人よりもいい成績で、人よりもいい大学に・・・こういう受験戦争が、私をはじめとした多くの高校生の心や体を歪めていることに気づかされたのは、大学に入って人との関わりあいの中でした。
名古屋大学時代は、勉強よりも混声合唱団で歌ばかり歌っていました。その中で、黒人霊歌を通じて、奴隷制度のことを学び、組曲「沖縄」を歌うなかで、伊江島で起きた「銃剣とブルトーザーによる米軍用地の接収と沖縄の戦い」などにも出会いました。卒業後 2年間模索して、埼玉県の医療機器メーカーに就職し、一年後に結婚。翌年、母の誘いで夫とともに岡崎に戻り太田米穀駅西店を開店。なかなか子どもに恵まれず、不妊症の会を立ち上げたこともありました。 その後、党から「尾藤議員の後継として市議会議員に」との要請があり、悩んだ末に決意。友人はこのころの私をみて「激動の人生」と称しました。
 いろいろなことをしてきたことすべてが今の私の糧になっています。 出会った人たちの人生も重ね合わせながら、この間いただいた、たくさんのくらしの声を議会に届けるため「心は初心」でがんばります。(おわり)

きまた昭子さんの生い立ち

「憲法を暮らしに生かす」という蜷川知事
の最後の選挙などに参加し、20歳の時に
日本共産党に入党しました。
その後 大学時代から付き合っていた現在の連れ合いと結婚をし、名古屋に居を構え30代の時に岡崎市に家族5人で移り住みました。
3人の娘を育てながら、六名南、稲熊保育園の役員や みかわ市民生協の理事をし、生協の代表として「核廃絶」を訴えるために国連に行き、娘達が通う甲山中学校の丸刈り・トレパン通学をやめよとPTA総会でお母さんたちと訴えるなど,子どもとともに親として成長させてもらったと思っています。
 「内田事件」のとき、保育園の母の会のメンバーとして、竜美丘会館で当時の助役が内田氏(現市長)を国会議員選挙によろしくという発言に「まった、選挙違反だ」と声を上げたことを昨日のことのように思い出します。
 議会に送っていただき、28年が過ぎましたが、今も私は子育て中のやわらかい心で子どもや障害者・高齢者の暮らしがよくなるよう全力で頑張っていきます。(おわり)

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