活動紹介 − 活動レポート

【16.08.07】岡崎市議選予定候補の素顔を見る〜その 

新免はるかさんの生い立ち

  私は豊橋市で3人兄妹の末っ子として生まれました。
医師から「この子は頭の形が凄く良い」と褒められたそうです。
幼少の頃はよく両親に署名活動やポスター貼りに連れて行かれました。保育園のお散歩の時間に「あ!昨日貼ったポスターだ!」と大きな声を出していたそうです。
小学校では、児童会の副会長をしたりミニバスケ部やブラスバンド部に所属し怖いもの知らずの活発に動き回る子どもでした。
中学校では、美術部に所属します。一学年が小学校の5倍になりだんだんと内気な性格に変わっていきます。この頃から既に学芸員になりたいと思い、京都橘女子大への進学を目指す様になります。
学芸員になりたい・文化財学科で学びたいと言う目標があったものの、その前段階の高校選びに悩みました。そんな時「普通科に行くならどこ
に行っても同じ。自分がどれだけ頑張るかだ」と言う言葉を掛けられ、やってみたかったバドミントン部のある高校の中から、原爆の火を灯し続け平和教育を行っている桜丘高校を選びました。
高校時代は、民青同盟に加盟し高校生平和ゼミナールに参加したり様々な活動を始め、バドミントン部と両立させ忙しい日々を送ります。
無事京都橘女子大学に合格し、高校を卒業と同時に京都へ向かうと、京都は府知事選の真っ只中。早速選挙活動を手伝う事になります。結果は残念でしたが、それが『もっと党を大きくしなくては』と言う思いになり入党を決意しました。
(つづく)

鈴木まさ子さんの生い立ち

  昭和35年、岡崎市羽根町で生まれました。小さい頃は引っ込み思案で、常に母の後ろに隠れていたような子どもでした。小学校4年生の時に学級委員に選ばれてから、人の前に立つことに躊躇がなくなり、6年生のときには、児童会の書記に立候補。当時は校内での選挙運動もあったんです。合唱部、ソフトボール部にも在籍、チャレンジ精神も開花。中学ではテニス部のキャプテンに。運動音痴の私には少しつらい役割でした。岡崎北高に入ってからは部活もやめてどちらかといえば「勉強一筋」の生活。おしゃれも趣味もそこそこにして ひたすら先生の教えを守って一日10時間の勉強時間をこなしていました。
(つづく)

きまた昭子さんの生い立ち

  私は昭和24年、広島に生まれました。教員をしていた父と優しい母親の下で、姉と弟の真ん中で自由奔放に育ちました。
私には5歳年上の兄がいましたが、戦後のおやつのない時代、3歳の時に青梅を食べてお腹を壊しましたが、当時は戦地から戻って来ている医師が少なく、診てもらうことなく亡くなりました。
小学校時代は、始業のベルがなって走っても間に合うような近さに家がありましたが、体が弱く3,4年生ではよく休み、父が学校の図書室で借りてきてくれていた本をよく読む子どもでした。特に冒険物が好きでした。小学校の卒業文集には長所を「弱い人の味方」となぜか書いていました。
中学校は少し遠く、徒歩通学で少しずつ鍛えられて元気になってきました。クラブ活動は軟式テニスの後衛で、切れるサーブの打てる選手として各種の大会に出るようになりました。
(つづく)

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