活動紹介 − 活動レポート
【12.07.22】若山はるじさん は こんな人
名古屋生まれ、サッカー・柔道とスポーツ少年
若山はるじさんは、1948年名古屋市中村区生まれ。小学校は日吉丸の出生地にちなみ「日吉小学校」。豊国中学校から高校は県立明和高校へ。中学時代はサッカー部に、高校時代は柔道部に属し汗を流していました。ペスタロッチの全人教育にあこがれ、京都大学の教育学部を受験しましたが失敗。すぐさま東京に上京し、東京都中央区にあった砂利屋に就職。
労働者の苦労を体験しながら図書館通い
車庫の二階の屋根裏部屋に下宿しながら、平日は仕事が終わると日比谷図書館に通い、日曜日には神田の古本屋に通う青春時代でした。東京には友人もなく知人も親戚もおらず、まったくの一人ぼっちで、孤独と絶望の中にいましたが、読書を通じて、「希望が虚妄であるように、絶望もまた虚妄である」「職業意識を突き抜けたところに階級意識がある」「己の心臓を犬にくれてやれ」といった言葉に、自分自身に拘泥するだけで、周りの世界が見えなかった自分に気づき、あらためて大学で経済学を学ぼうと、名古屋にもどり名古屋大学経済学部に入学しました。
再び大学で経済学を学ぶ
大学では「政治研究会」というサークルに参加。マルクスやグラムシ、フロムなどを読書会で議論しました。三年ほど在籍しましたが、周りの仲間が就職活動に移っていくなかで、そのような気持ちになれず、大学を中退しタクシー運転手として実社会へ。
常に労働者に身を置きながら社会変革の道へ
タクシー運転手時代に日本共産党に入党。その後トラック運転手等をへて、34歳の時、港民主商工会の事務局員として業者運動に参加することになりました。
27年間、中小零細業者の頼れる相談役
61歳で退職するまで27年間、中小零細業者の相談役、組織者として名古屋市の港民主商工会で活動してきました。退職後は岡崎図書館に通い「グローバル社会主義」について研究することで、運動に貢献する人生設計でしたが、岡崎市議会で何としても3議席を奪還し、市民に非公開の談合政治を打破し、市民の暮らしや中小零細業者の営業を守る政治への転換への願いにこたえたいと決断。
仲間と心を一つにして
「小さなお菓子屋のご主人が『先回なくした党の議席をぜひ回復してほしい』と二万円のカンパを寄せてくれました。私は、その二万円が、今の時代に、このご主人にとっては何十万円にも匹敵するような金額であることが、よくわかる」と若山さんは、目をうるませます。
「だからこそ、中小業者が泣かない政治、地域が活性化するまちづくりになんとしてもがんばりたい」と若山さんは日々仲間の皆さんと心を一つにして、市民との対話をつづけています。