活動紹介 − 活動レポート
【12.07.29】きまた昭子さんはこんな人
広島(ヒロシマ)で生まれ、育って
きまたさんは 1949年、広島県白木町(現在の広島市安佐北区)に生まれました。父親は小学校の教師、母親は地元婦人会会長という両親の元、1男2女の3人兄弟の真ん中で育ちました。
広島市内の比治山女子高校を卒業後、京都の大学に通う姉と同居して、知恩院系列の華頂女子短期大学で福祉を学びました。
高校時代、被爆者が多く住む原爆スラム地域で、ボランティアとして活動。そのころ、幼なじみの節ちゃんを白血病でなくし、原爆が後世に残す悲惨な影響に怒りを感じ、平和運動に参加するようになりました。
京都の学生時代には、障害児施設のボランテアや、うたごえサークルで活躍。大好きな歌は「あらぐさのうた」です。
結婚、子育て岡崎で
その後25歳で結婚、夫のふるさと名古屋に転居。その後夫の仕事の関係で岡崎市上和田住宅に転居。3人の娘を育てながら、六名保育園や稲熊保育園で役員をし、新日本婦人の会の常任理事、みかわ生協の理事として、子どもたちに安全な食品を、豊かな保育環境をと仲間とともに運動をしてきました。
トレパン、丸刈り 廃止に
子どもが通っていた甲山中学校では、当時トレパン通学、丸刈り・おかっぱ頭が強制されていました。「子供の個性を育てるはずの学校が、個性をつぶしている」、ときまたさんは、多くのお母さんたちとともに、全在校生宅に「是否」を問うアンケートを送り、PTA総会で問題提起をしました。議員になってからも何度も一般質問でといりあげ、とうとう岡崎市で、トレパン通学、男子の丸刈りをなくしました。
35歳で立候補、福祉の第一人者
国政に立候補した八田ひろ子さんに代わり、梅園学区に転居し35才で市議に立候補、一度目は残念ながら議席に届かず。それをバネに4年後、見事に当選。以来「福祉ひとすじに」24年間、点字の母子手帳や介護保険の減免制度、365日の配食サービス、家具の転倒防止金具の設置、高齢者のゴミ出し(さわやか収集)、みあい養護学校の建設など皆さんとともに実現してきました。
毎議会市民の福祉・暮らしを守る提案や指摘をしてきました。真の福祉を語ることができる岡崎市議会で唯一の議員です。